大判例

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東京高等裁判所 昭和37年(ネ)2989号 判決

控訴人(被告) 厚生大臣

訴訟代理人 小林定人 外三名

被控訴人(原告) 中矢文子

主文

一、原判決中主文第一項に対する控訴を棄却する。

二、原判決中の主文第二・三項を取り消す。

被控訴人が戦没者野中大吉にかかる遺族年金及び弔慰金を受ける権利を有する旨の裁定を求める被控訴人の訴を却下する。

三、訴訟費用は、第一・二審ともすべて控訴人の負担とする。

事実

控訴人指定代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は、第一・二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を、被控訴人訴訟代理人は、控訴棄却の判決を各求めた。

当事者双方の事実上の主張および証拠は、つぎに補足するのほかは、原判決の事実摘示と同一であるから、ここにこれを引用する。

控訴人指定代理人は、被控訴人が訴外北井通俊との間に「事実上の婚姻関係と同様の事情に入つたものと解することが相当」であるとする事情の一端につき、新たにつぎのように述べた。すなわち、「(一)、被控訴人の夫野中大吉の戦死公報があつてから、被控訴人が実家に戻つた後、被控訴人の母中矢シズヨは被控訴人の身の振り方につき心痛し、すみやかな再婚を念じていたところ偶々世話する者があり、愛媛県松山市に居住する三木邦広との間に婚約が成立し、結納を取り交わす段階にまで進展していたが、被控訴人は北井とねんごろとなつて自らの意思によりこの婚約を破棄し、北井と事実上の婚姻関係に入つた事実がある。このことは、当時被控訴人に再婚の意志があり相手方として前記三木より、むしろ北井を選んだものと解され、被控訴人に北井との婚姻の意志のあつたことを示すものである。(二)、被控訴人と北井が、昭和二三年一月より同年七月頃まで同棲したことは原審において主張したとおりであるが、その後数ケ月して北井が前記のとおりもとの妻との復縁を拒否され茨城より被控訴人居住の松前町に戻つてきて以来昭和二八年六月の認知等請求調停事件の申立の頃迄の間約四年間に亘り再び被控訴人と北井は被控訴人の実家において同棲を継続している事実がある。しかしてその間昭和二七年の援護法制定の頃北井が松前町役場に出頭し、内妻たる被控訴人の遺族年金の受給権の有無を問い合せたところ同役場吏員より事実婚であるため被控訴人に受給権がない旨の返答に接しこれを了承して帰つている事実もあるのである。」

被控訴人訴訟代理人は、「控訴人の当審におけるみぎ主張事実のうち、被控訴人が訴外三木邦広と見合いをしたことを認めるが、同人と婚約した事実はない。その余の事実もすべて否認する。」と述べた。

(証拠省略)

理由

被控訴人の本訴請求に対して、原判決がその理由のなかで判示したところについては、原判決の主文第二項の請求に関する部分のみを除いて、当審における審理の結果(控訴人の当審における新たな主張および当事者双方の申出による新たな証拠について、およびこれを加えての判断は、なお後に説明する。)によつても、これと見解を異にすべきものがないので、みぎ除外部分を除くその余の記載(原判決一〇枚目、記録一九丁表二行目から一九枚目、記録二八丁表五行目九字まで)をここに引用する。ただ、理由の八枚目、記録二六丁裏一行から六行にわたつて認定した事実について、その認定の資料として挙げられている乙第一七号証の三は、写しが提出されて記録一四七丁に綴じられているのみで、書証として原審に提出された形跡がない。従つて、これを引くことは正しくないが、認定にかかる事実そのものは、原本の存在およびその成立に争いのない甲第一号証によつてこれを認めることができることを付言しておく。

以下に当審における資料についての判断を示す。まず、控訴人主張の(一)の事実について。被控訴人が野中方から実家へ戻つた後に訴外三木邦広と見合いをしたことは、被控訴人の認めるところであり、それが進展しなかつたことが専ら被控訴人自らの意向によることは、当審における証人中矢シヅヨの証言および被控訴人本人尋問の結果により明らかである。しかし、控訴人の主張するような進んで両名の間に婚約が成立していたとの証拠はなく、さらにみぎ縁談が婚姻成立までに進行しなかつたのは、専ら被控訴人と北井通俊との間に事実上の夫婦関係が始まつていたためであると聞いた旨の当審証人高橋湯之介の証言によつては、みぎ縁談不成立の縁由がそうであるとまでのことを肯定するに十分でない。被控訴人が三木邦広と見合いしたこと自体によつて被控訴人の一般的婚姻意思の存在を否定すべくもないことはもちろんであり、戦時中短期間の婚姻生活をしただけで出戻ることを余儀なくされた被控訴人としても、これを引き取るのほかなかつた被控訴人の母としても、被控訴人が幸福な再婚生活に入ることを待望したであろうことは、十分に察せられる。そのことは、当審における証人中矢シヅヨの述べるとおりである。しかし、当審における同証人および前記高橋証人の証言中にあるように、三木邦広との縁談は、おやえおばさんと呼ばれる縁談ごとに顔の広い婦人が持ち込んだものであり、必ずしも被控訴人またはその母が広く縁談を求めていたために持ち込まれたと認められる資料もない。これを要するに、被控訴人が見合いをしたというゆえをもつて、直ちに被控訴人と北井通俊との間の婚姻意思を肯定せねばならぬとの論理を導くものでなく、他に控訴人のみぎ主張を肯認させるに足る証拠はない。

控訴人主張の(二)の事実について。控訴人は、その従前主張したように被控訴人が昭和二三年一月から昭和二三年七月まで北井と同棲したほか、その後数ケ月して北井が戻つてから昭和二八年六月頃まで約四年間にわたり被控訴人の実家において北井と同棲していた事実がある、と主張する。さて、昭和二三年一月から同年七月頃までの間においては、被控訴人は、北井に雇われて女中奉公をし、その間常時ではないとしても、ある程度北井居住の家で寝とまりした事実があること、しかしこれらの事実によつては、その頃被控訴人と北井との間に事実上の婚姻と同視できる関係が存したと認めえないことは、さきに引用した原判決の理由に示すとおりであつて、この点につき当審に提出された証拠によつても、補正を要するところがない。ところで、昭和二三年七月以降についても、控訴人の主張する「その後数ケ月してから昭和二八年六月頃まで四年間にわたり被控訴人が北井と夫婦のような日常同居の生活をした」との点については、原判決が信用できないとして排斥する旨を説明した証拠を別にして、他にこれを認めるに足る証拠がない。なお、控訴人は、昭和二七年中北井が松前町役場に出頭し、内妻である被控訴人の遺族年金の受給権の有無を問い合せた云々と主張し、当審証人高橋湯之介は、昭和二八年初頃にそのようなことがあつたと聞いている旨を供述するけれども、この供述によつても被控訴人と北井との間に当時事実上の夫婦関係の存したことを肯認するに十分でない。かえつて、被控訴人と北井との関係については、さきに引用し、当裁判所も肯定する原判決理由中の認定事実のほかに、前掲証人中矢シヅヨの証言ならびに原審および当審における被控訴人本人尋問の結果によれば、つぎのような事実が認められる。北井が昭和二三年七月初頃に茨城県下の妻のもとに引きあげてから遠くない間において、被控訴人は北井の子を宿したことをようやく覚り、再三北井に妊娠中絶の費用を送金するよう通知したこと、しかるに北井は、これに対し何らの返答すらしなかつたこと、被控訴人は、北井が去つてから専らその実家に生活していたが、出産の前日に、出産の場所として、北井通俊がいないので、同人の親族の同意を得て北井一族の家に移り、子を抱いて再び実家へ戻るまで一ケ月余りを一人同所に仮寓したこと、北井は、その間被控訴人を見舞つたことのないこと、右出産后被控訴人と北井との間に更に情交関係があつたけれども控訴人の主張するように右両名が被控訴人の実家において同棲を続けていたような事実は全くないこと、被控訴人の生んだ第一子一夫については、北井は、被控訴人の要求によりこれを認知したが、第二子については、これを争つて認知しようとせず、ために両人間にはげしい反目を生ずるに至つたこと、被控訴人は、実家にあつては魚の行商などをして生活をたてていたが、二人の子をかかえるようになつては、それも思うに任せず、闇煙草の製造販売をしたこともあるが、後には健康を害し、生活扶助に頼るようになつたこと、以上のような事実が認められる。みぎ認定のような事情に徴すれば、被控訴人と北井との間において、昭和二三年七月以後においても事実上の夫婦共同生活関係を肯定できるような事情があつたとは到底これを認めることができない。

以上に説明したように、控訴人が当審において主張するところは、これを肯定することができず、その他当審における新たな証拠調の結果をあわせ考えても、被控訴人が昭和二七年三月三一日までの間に北井通俊と事実上の婚姻関係と同様の事情に入つたものと認めることができない。してみれば、被控訴人がその主張の権利を有することとなり、これを否定した控訴人の裁決は、違法として取消しを免れない。

最後に、被控訴人がその主張の権利を有することについて、控訴人にその旨の裁定をなすべき旨を請求するので、この訴の適否を考える。控訴人がなした裁決が違法であることは、前段までに説明したとおりであつて、原裁判所は、同趣旨において裁決を取り消す旨を主文において明らかにし、当裁判所は、この点の判断を支持するのである。この点についての控訴を棄却する本判決が確定するときには、行政庁である控訴人は、この判決の趣旨に従つて行動すべき義務を生ぜしめられることは、法律によつて定められている。すなわち、控訴人がさきになした裁決が取り消される以上、控訴人が被控訴人のために、その主張の権利を有することの裁定をなすべき旨を特に判決の主文に表示するまでもないのであり、被控訴人は、重ねて控訴人においてその旨の裁定をなすべき義務あることの宣言ないしその旨の意思表示をなすべきことを裁判上請求する利益を有しないのである。よつて当裁判所は、この点に関する被控訴人の訴を不適法と認める。

以上の次第であるから、本件控訴は、被控訴人の第二の請求を容れた原判決主文第二項の部分についてのみ理由があるからこの限度で原判決を取り消して、みぎの訴を却下するが、その余の控訴を理由ないものとし、民事訴訟法第三八四条・第三八六条・第九六条・第八九条・第九二条の各規定を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 岸上康夫 中西彦二郎 室伏壮一郎)

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